外柔内剛

今回の公演で上演したHISTORICAの構想は、5年くらい前に遡ります。ちょうど「ONE HOUR」を書こうかどうしようか悩んでいた時期に頭の中にありました。結局3年前の夏に書き始めたのは「ONE HOUR」でした。そもそも高校生のために書く気はさらさらなかったのですが、書ける気がするときに一気に書き上げないと書けないので、まぁ、結果的には書けたと。で、HISTORICAはラストシーンがいい感じに思い浮かばなかったことと、大河ドラマのような壮大な話になりそうだったので、ちょっと書くのを躊躇していました。しかし、昨今の日本の政治状況やアメリカの政治に対するアンチテーゼ的な意味もあり、これは書かねばならないと思い、書き上げました。争いからは何も生まれないという強烈なメッセージになればと思いました。今回のお芝居は663年に起こった「白村江(はくそんこう・はくすきのえ)の戦い」がモチーフになっています。当時の倭(日本)は朝鮮半島の百済(くだら)と友好関係にありましたが、660年に中国の唐と朝鮮半島の新羅(しらぎ)により百済は滅ぼされます。その後、百済の遺臣であった鬼室福信(きしつふくしん)が倭に百済救援を訴えます。当時の倭では、645年のいわゆる大化の改新後、斉明天皇(御前)とその子・中大兄皇子(開別)が政権の中心にいました。彼らは国内の引き締めと大陸への影響力強化を図るため、約3万人の海軍を派遣します。これを将軍・蘇定方率いる唐・新羅の連合軍は撃破します。日本海軍を率いた秦田来津ら多くの日本人が戦死・虜囚となりました。そのうちの一人、薩野馬(さちやま)らは、約40年後、倭へ帰国します。当時の倭(日本と改称)は持統天皇(鵜野讃良・うののさらら=サラ)の時代を経ていました。お芝居では秦田来津が帰国して、薩野馬が戦死し、阿斗里が50年後に日本へ帰国しましたが、これは劇団内の役者の関係(笑)で、史実とは違う形になりました。実は、今回の台本、約2分の1を書いた段階で稽古が始まりました。稽古段階ですでに配役が決まっていたので、ラストシーンで史実とは異なる結果になりました。要はキャストの見栄えの問題です(笑)。ちなみに首磐の里の住民以外はほとんどが実在の人物です。詳しいことは、また時間があるときに書いてみたいと思います!

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