尸位素餐

本日、職場の行事があり、いろいろ関係ないけれど、ヘルプする。ある程度細部にまで気が付かない人が行事を仕切ると、どうしても粗がでる。思想なき行事は、ただの惰性でしかない。結局、分かる人間が分からない人間の仕事を、隙間を埋めるように代行することによって、うまく回っていることに気が付かない。失敗しないと分からないこともある。そうだ、ほおっておくのがいい。いや、もお、いい。多分ボクも気が付かないウチに誰かに助けてもらっているのだろう。さて、似たようなことは大人の世界だけじゃなくこどもの世界でも起こる。午後は現役の舞台稽古。平台と箱馬を組み合わせて舞台を作る。彼らは作っているだけで、考えているのはボク。結局、彼らは自分たちで何も生み出していない。なのに自分ではいろいろ頑張ってる気分になってる。かなりタチが悪い。もう一度我が身を振り返れ。自分がこれまで、集団の中で、何かに貢献してきたのか?何もやってないじゃないか。ただ言われたことをダルそうにやってるだけじゃないか。今日や昨日、ここ1か月とかそこらの話をしてるわけじゃない。入部してからずっとだ。少なくともボクにはそう見えますよ。そうかと思えば、『俺はやってるのに、みんなはあまりやってない』という者もいる。どの口が言うのか、と言いたい。ぶつぶつ文句を言うな。あなたは言うほど何もやってないし、出来てもない。自分以外の誰かに文句があるなら、もっとみんなを上手く巻き込む方法を考えろ。そして、自分が何も出来ていないことを自覚することから始めろ。自分が『やっている』『できている』と思っているから他人に腹が立つのだ。まぁ、あれだ、何もわかっていない、何も出来ていないバカ者同士、協力する方法を考えろ。分かり合えなくても、協力することは出来る。人間はそもそも100%分かり合うことなんてできないのだから。最低限の信頼関係がない集団の芝居は、観ていて魅力がないし、お客にバレる。大人ならいざ知らず、まだまだ半分こどもであればなおさらだ。せっかく、舞台装置をあんなに素早く組上げることができるのに、もったいない。それから、もっと稽古に真剣に取り組め。
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